工事中 見学可

寺野玉手箱グループとの協賛企画

地域の貴重な歴史を紙芝居で

 

東山寺の三尊像

 

それは、なあ、むかしむかしの、もっとむかしのおはなしなんじゃよ。

それこそ、日本という国が生まれるよりも前のおはなしじゃ。

うん、うん。

東山寺集落の裏山に「たけのやま」があるじゃろう。

古代の人々は、なあ、この山を「薬師が峯」と呼んでおったんじゃよ。

 

それから、時間が過ぎて、何百年もあとの日本神話の時代になって・・・のお・・・。

 

出雲の国で誰がこの国を統治するかの跡目争いが起きたんじゃ。

 

その争いに負けた、建御名方命(たてみなかたのみこと)が出雲の国から追い出され、信州諏訪に逃げる途中、ここを通ったんじゃ・・・のお。

そして、人々を苦しめている夜星という悪党との戦いになり、負けそうになったんで、父親の大国主命(おおくにぬしのみこと)に助けを乞うんじゃよ。

そうするとなあ・・・。

 「薬師が峯」の頂上が光り輝いて、大国主命が「白丈神」として顕れるんじゃなあ。 

「たけのやま」の丈は、この「白丈神」の丈という字なんじゃよ。

だからなあ・・・。

「薬師が峯」という名前の方が「たけのやま」よりも、ずっと、ずっと、ずう~っと、古いんじゃ・・・よ。

 

そんな訳で、ここには、薬師様は居るし、神様は居るしで、段々と沢山のお寺が集まってくるんじゃ。

そして「山寺三千坊」とか「山寺五山」とか呼ばれるように迄なったんじゃ。

ところがなあ。

「山寺三千坊」は、鎌倉幕府と対立するようになり、1200年頃になると、廃れてしまうんじゃなあ。

 

それから、また時が進み、200年後、南北朝時代が終わる頃・・・。

その頃、日本国中に、疱瘡(ほうそう)が大流行し、人々が大勢死んだため、元号を変えたんじゃよ・・・。

つまり、1394年7月5日、明徳から応永という元号に変わった。

 

今日の、紙芝居は、疫病が大流行した時に造られた、東山寺の『山寺薬師三尊像』のお話なんじゃよ。

 

当時、この板倉地域を管理していたのは、『越後三善家」という大豪族だった。

『越後三善家』は、かって、恵信尼様が生まれた家じゃよ。

そして、越後に流刑となった親鸞聖人をお世話したのが、この『越後三善家』なんじゃよ。

まあ、前置きはこれくらいにして、紙芝居を始めようかのお・・・。

 

 

<三善家屋敷>

祐山 「旦那様、只今戻りましたぞ」

讃阿 「ご苦労じゃった。して、町の様子は?」

祐山 「悪い病気が広がりつつ有ります」

讃阿 「そうか。京の都では、皮膚に瘡蓋(かさぶた)が出来、どんどん死んでいると、手紙に書いて有った。いよいよ、この越後にまで悪い病気が広がりつつあるのか・・・」

祐山 「して、如何にすれば防ぐことが出来ますか? 旦那様」

讃阿 「わしら人間の力では、どうすることもできぬ。神、仏に縋(すが)るしかあるまい」

祐山 「薬師様に、縋るしかないか。しかし、薬師が峯に薬師様はおらぬ・・・」

讃阿 「そうじゃ。薬師が峯の麓に薬師如来様を寄進しよう。どうじゃ、祐山」

祐山 「それは良いお考えに御座ります。で、その薬師如来様は何処(いずこ)に?」

讃阿 「越後には無いわ。祐山、直ぐに、都に立て。行って、薬師如来様を探すのじゃ。急げ」

 

時は、1394年、応永2年3月末、まだ雪が残る寒い朝に、讃阿の命を受けた僧侶祐山は、讃阿から預かった充分過ぎる金子(きんす)を懐に入れ、都に向け屋敷を出立した。

 

 


<京都六条通り>

当時の仏師は、天皇家の円派仏師、朝廷の院派仏師、武士の奈良仏師の三派に分かれていた。

祐山は、都に着くと、迷わず、三善家は藤原摂関家の部下であったため、院派仏師が集う、六条仏所へ向かった。

 

祐山 「ここが、六条仏所か。お邪魔申す」

 

仏所では、何十人もの仏師達が、仏像を彫っていた。そして、掘り上げた大小の仏像は、奥の間に陳列してあった」

 

仏師 「何を、お探しか?」

祐山 「薬師如来は?」

仏師 「どうぞ、お上がりください。薬師如来は色々と・・・」

 

奥の間には、幾体もの、如来、菩薩、明王等の仏像が並んでいた。

 

仏師 「これとこれが、薬師如来でございます」

祐山 「うむ。もっと大きい薬師如来はないか?」

仏師 「今は、是だけでございます」

 

祐山は、仏像群の中に、見上げる程大きい、坐像を見つけた。

 

祐山 「これは、薬師如来では?」

仏師 「いや、釈迦如来でございます」

祐山 「左手を取り換えれば、薬師如来になるのでは」

仏師 「ご冗談でしょう。ご無理ご無体な・・・」

祐山 「うむ。それもそうじゃな。是を彫った仏師はどなたか?」

仏師 「筑後法眼(ちくごほうげん)でございます。是へお呼びします」

法眼 「なにか?」

仏師 「この御仁が・・・・」

祐山 「この釈迦如来を彫ったのは貴殿か?」

法眼 「左様に御座います」

祐山 「彫り上げるのに、如何程の日にちがかかるのか?」

法眼 「1年程・・・」

祐山 「で、釈迦如来は、彫れるのか?」

法眼 「ご要望なれば・・・」

 

これで、祐山は、「薬師如来を筑後法眼に彫ってもらう」ことを心に決めた。

只、一つだけ、讃阿様が果たして、この如来を気に入ってくれるかどうか・・・

 

祐山 (この、釈迦如来を旦那様に直接お見せするしかない・・・・か)

 

祐山 「法眼殿。この釈迦如来を越後国に運べるか?」

法眼 「寄木造り故、頭、両手、背と腹、足をばらして運びます」

祐山 「成程。越後の我が屋敷で組み立てるのじゃな」

法眼 「組み立ては、私以外では、出来ませぬが」

祐山 「貴殿も越後まで来てくれぬか」

法眼 「承知いたしました」

 

祐山は、即決で、全ての費用を支払ったため、六条仏所では忽ち評判になった。

 

 

<三善家屋敷の離れの作業場>

 

7月上旬、漸く、祐山と法眼は、越後三善家に着いた。

 

法眼 「凄くご立派なお屋敷でござるな」

祐山 「ここは、離れじゃ。作業場として自由に使ってよいぞ。落ち着いたら、釈迦如来を組み立てるがよい」

法眼 「祐山様。旦那様のお名前は?」

祐山 「それは、法眼殿がお造り申した釈迦如来が、お気に召しかどうかじゃ。お気に召さぬ場合は、法眼殿は、都に帰って戴く」

法眼 「承知」

祐山 「法眼殿。いつ頃、旦那様にお見せできるか?」

法眼 「2週間程、頂けますか? それと、筆と墨をお借りしたい」

祐山 「用意いたす」

 

 

 

<三善家屋敷>

 

祐山 「旦那様。只今都より戻りました」

讃阿 「ご苦労じゃった。して、薬師は?」

祐山 「都の六条仏所には、私の目にかなう薬師様は居られんかった」

讃阿 「そうか・・・」

祐山 「その代わり、仏師と釈迦如来様をお連れした」

讃阿 「何と!」

祐山 「2週間程の御猶予を。仏師は屋敷の離れにて、今、釈迦如来を組み立てています。その後、御覧になって戴きまする」

讃阿 「承知した」

<三善家屋敷の離れの作業場>

 

 

7月10日

 

組み立ては、膝部の上に背と腹、次いで、両手が終わり、残すところ頭のみとなった。

法眼は、頭部を組み立てる前に、頭部の内側に、墨でこの様に書いた。

 

勧進沙門祐山

明徳五年甲戍七月十日

六条仏所筑後法眼

 

三善讃阿の名が無いのは、法眼は、讃阿の名を祐山から知らされてはいなかったからである。

明徳五年七月五日に、元号が応永に改元している。

越後の法眼には、都の応永に改元したという情報は届いていなかった。

 

それから数日後

 

祐山 「法眼殿。旦那様が来られましたぞ。用意は良いか?」

法眼 「ははー」

讃阿 「おー、これかあー。これは素晴らしい。大いに気に入った。是を彫った仏師は」

法眼 「私が、六条仏所の筑後法眼でござります」

讃阿 「筑後法眼殿、薬師如来を彫って貰いたい。この如来と同じような・・・」

法眼 「承知いたしました」

 

 

 

<三善家屋敷>

 

祐山 「旦那様。お聞きしたいことがござる」

讃阿 「うむ」

祐山 「薬師如来を何処に置きますか? それと、釈迦如来は如何いたしましょう?」

讃阿 「お堂を建てて、そこに入れようぞ」

祐山 「場所は?」

讃阿 「薬師が峯の麓、乙宝寺の跡地が良かろう」

祐山 「釈迦如来は?」

讃阿 「二体とも、そこに入れる」

祐山 「旦那様、二体は、不吉ですぞ。さすれば、三体にして真ん中は薬師如来かと」

讃阿 「承知した。祐山よ、早速、薬師堂の築造の準備に取り掛かれ」

祐山 「承知」

薬師如来の制作と薬師堂の築造が順調に進んでいる中、都の印派仏所から一通の手紙が法眼の元に届いた。

 

その手紙には、『筑後法眼を大仏師と称する』と書いて有った。

<山寺薬師堂>

 

筑後法眼が三善家に来て、薬師如来を彫り始めて、約1年が過ぎた応永2年7月2日。

新築された薬師堂の中では、大仏師の筑後法眼が如来の組み立て作業を行っていた。

組み立てる前に、法眼は、頭部内に

 

大檀那三善讃阿

勧進沙門祐山

応永二年大才乙戍七月二日

大仏師筑後法眼

 

又、背部内には

 

大檀那三善讃阿

応永二年大才乙戍七月二日

大仏師筑後法眼

 

と墨書きした。

 

 

 

祐山 「法眼殿、あとわずかだな」

法眼 「祐山様。今、頭部をお付け申した。御覧なされい」

祐山 「おお。素晴らしい出来栄えじゃ。右の釈迦如来より、薬師如来様が大きく見えるな」

法眼 「僅かじゃが、大きく造り申した」

祐山 「旦那様も、さぞ、お喜びなさるであろう」

法眼 「ところで、祐山殿、左はどの様になされますか?」

祐山 「旦那様のご要望は、阿弥陀如来様じゃ。また1年、越後に居てもらわなければならぬが・・・」

法眼 「私は仏師、仏を彫るのが仕事。命を懸けて、阿弥陀様を彫りましょうぞ」

 

<法眼没す>

 

一年後の応永三年七月。

 

祐山 「法眼殿、具合は如何か?」

法眼 「祐山様。申し訳御座いませぬ。何とか、阿弥陀如来完成しましたぞ」

祐山 「それより、法眼殿、大丈夫か?」

法眼 「某は、阿弥陀如来の下に参ります。申し訳ない。仮組までは終わっている。後は祐山殿にお任せする」

祐山 「法眼よ、しっかりせい! 目を覚ませ! 法眼!」

 

この後、祐山が薬師堂に阿弥陀如来を持ち込み、膠で組み立て、完成した。

胎内には、法眼が墨書きをする余裕など無かったのである。

 

 

<三善一族流浪の旅へ>

 

 

 

 

<東山寺集落>

 

 

文:島田正美(寺野玉手箱グループ)

  眞田弘信(たけのやまファンクラブ)

絵:〇〇〇〇

  〇〇〇〇

特別監修:三善啓昭(三善家宗家当主)