【今昔物語集】

〔各話が「今は昔」ではじまるところからいう〕

説話集。三一巻。八・一八・二一巻は欠巻。編者未詳。1120年以後の成立。天竺・震旦・本朝の三部に分かれ,標題のみあるいは標題と本文の一部のみのものを含めて一〇五九の説話を採録。仏教的・教訓的傾向が強いが,本朝部の説話はあらゆる地域と階層の人間が登場し,生き生きした人間性が描かれる。漢字片仮名交じりの簡潔な表現は和漢混交文の先駆をなす。

 

 

今昔物語集の猿の話

越後国々寺僧為猿写法花語  第六

(ゑちごのくにのくにでらのそうさるのためにほくゑをうつせること)

今昔(いまはむかし)、越後(ゑちご)ノ国、三島(みしま)ノ郡(こほり)ニ国寺ト云フ寺有リ。其ノ寺ニ一人僧住(ひとりのそうぢう)シテ、昼夜ニ法花経(ほくゑきやう)ヲ読誦(どくじゆ)スルヲ以テ役(やく)トシテ他(ほか)ノ事無シ。

 而(しか)ル間、二(ふたり)ノ猿出来(いできたり)テ堂ノ前ニ有ル木ニ居(ゐ)テ、此ノ僧ノ法花経読誦スルヲ聞ク。朝(あした)ニハ来(きたり)テ夕(ゆふべ)ニハ去ル。如此(かくのごと)ク為(す)ル事、既ニ三月許(みつきばかり)ニ成(なり)ヌルニ、毎日(ひごと)ニ不(か)か闕ズシテ同様(おなじやう)ナル、居(ゐ)テ聞ク。僧此ノ事ヲ怪(あやし)ミ思(おもひ)テ、猿ノ許(もと)ニ近クゆき行テ、猿ニ向(むかひ)テ云(いは)ク、「汝(なむ)ヂ猿ハ月来如此(つきごろかくのごと)ク来(きたり)テ、此ノ木ニ居(ゐ)テ経ヲ読誦スルヲ聞ク。若(も)シ法花経ヲ読誦セムト思フカ」ト。猿僧ニ向(むかひ)テ頭(かしら)ヲ振(ふり)テ、不受気色(うけぬけしき)也。僧亦(また)云ク、「若(も)シ経ヲ書写セムト思フカ」ト。其ノ時ニ、猿喜(よろこ)ベル気色ニテ、僧此レヲ見テ云ク、「汝ヂ若(も)シ経ヲ書写セムト思ハヾ、我レ汝等ガ為(ため)ニ経ヲ書写セム」ト。猿此レヲ聞テ、口ヲ動シテ尚(なほ)テ喜ベル気色ニテ、木ヨリ下(おり)テ去(さり)ヌ。

 其ノ後、五六日許(ばかり)ヲ経テ、数百ノ猿、皆物ヲ負(おひ)テ持来(もてきたり)テ僧ノ前ニ置ク、見レバ、木ノ皮ヲ多ク剥ギ集メテ持来テ置ク也ケリ。僧此レヲ見ルニ、「前(さき)ニ云ヒシ経ノ料(れう)ノ紙ニ捶(す)ケト思ヒタル也ケリ」ト心得テ、奇異ニ思(おぼ)ユル物(ものの)貴キ事無限(かぎりな)シ。其ノ後、其ノ木ノ皮ヲ以テ紙ニ捶(すき)テ、吉キ日撰(えら)ビ定(さだ)メテ法花経ヲ書キ始メ奉ル。経ヲ書キ始ムル日ヨリ、此ノ二(ふたり)ノ猿毎日(ひごと)ニ不(か)闕(か)ズ来(きた)ル。或ル時ニハ、暑預(やまのいも)・野老(ところ)ヲ堀(ほり)テ持来(もてきた)ル。或ル時ニハ、栗(くり)・柿(かき)・梨子(なし)・棗(なつめ)等ヲ拾(ひろひ)テ持来(もてきたり)テ僧ニ与フ。僧此ヲ見ルニ、弥(いよい)ヨ奇異也ト思フ。

 此ノ経、既ニ第五ノ巻ヲ書キ奉ル時ニ成テ、此ノ二(ふたりの)猿一両日不見(みえ)ズ。「何(いか)ナル事ノ有ルニカ」ト怪(あやし)ビ思テ、寺ノ近キ辺(ほとり)ニ出(い)デ、山林ヲ廻(めぐり)テ見(みる)ニ、此ノ二(ふたり)ノ猿林ノ中ニ暑預(やまのいも)ヲ多ク堀リ置テ、土ノ穴ニ頭(かしら)ヲ指入(さしいれ)テ、二(ふた)ツ乍(なが)ラ同ジ様ニ死(しに)テ臥(ふ)セリ。僧此レヲ見テ、涙ヲ流シテ泣キ悲ムデ、猿ノ屍(しにかばね)ニ向(むかひ)テ法花経ヲ読誦シ念仏ヲ唱(となへ)テ、猿ノ後(ご)世(せ)ヲ訪(とぶら)ヒケリ。其ノ後、僧彼ノ猿誂(あつら)ヘシ法花経ヲ不書畢(かきをへ)ズシテ、仏ノ御前ノ柱ヲ刻(ゑり)テ籠(こ)メ置キ奉ツ。其ノ後、四十余年ヲへ経タリ。

 其ノ時ニ、藤原ノ子(こ)高(たか)ノ朝臣(あそん)ト云フ人、承平(じようへい)四年ト云フ年、当国ノかみ守トなり成テ、既ニ国ニくだり下ヌ。国府ニ着(つき)テ後、未ダ神事(しんじ)ヲモ不拝(はいせ)ズ、公事(くじ)ヲモ不始(はじめ)ザル前(さき)ニ、先(ま)ヅ夫妻(めをと)相共(あひとも)ニ三島ノ郡ニ入ル。共ノ人モ館(たち)ノ人モ、「何ノ故(ゆゑ)有テ此ノ郡ニハ怱(いそ)ギ入リ給フラム」ト怪(あやし)ビ思フニ、守(かみ)国寺ニ参(まゐり)ヌ。住僧(ぢうそう)ヲ召(めし)出(い)デヽ問(とひ)テ云(いは)ク、「若(も)シ此ノ寺ニ不書畢(かきをはら)ザル法花経ヤ御(おはし)マス」ト。僧共(ども)驚テ尋ヌルニ、不御(おはしま)サズ。

 其ノ時ニ、彼ノ経ヲ書キシ持経者(ぢきょうじゃ)、年八十余ニシテ老耄(らうもう)シ乍(なが)ラ未ダ生(いき)テ有ケリ。出来(いできたり)テ守(かみ)ニ申シテ云ク、「昔(むか)シ、若カリシ時、二(ふたつ)ノ猿来(きたり)テ然〃(しかしか)シテ教ヘテ令書(かかし)メタリシ法花経御(おはし)マス」ト申(まうし)テ、昔ノ事ヲ不落(おとさ)ズ語ル時ニ、守大(おほき)ニ喜テ、老僧ヲ礼(らいし)テ云ク、「速(すみやか)ニ其ノ経ヲ取出(とりいだ)シ可奉(たてまつる)べシ。我レ彼ノ経ヲ書キ畢(をへ)奉ラムガ為(ため)ニ、人界(にんがい)ニ生レテ此ノ国ノ守ト任ゼリ。彼ノ二(ふたり)ノ猿ト云フハ、今ノ我等ガ身此レ也。前生(ぜんしやう)ニ猿ノ身トシテ持経者ノ読誦(どくじゆ)セリシ法花経ヲ聞シニ依(より)テ、心ヲ発(おこ)シテ法花経ヲ書写セムト思ヒシニ、聖人(しやうにん)ノ力ニ依テ法花経ヲ書写ス。然レバ、我等聖人ノ弟子也。専(もはら)ニ貴ビ可敬(うやまふ)べシ。此ノ国ノ守ニ任ズル、輒(たやす)キ縁ニ非ズ。極(きはめ)テ難有(ありがた)キ事也ト云ヘドモ、偏(ひと)ヘニ此の経ヲ書キ畢(をへ)奉ラムガ故(ゆゑ)也。願(ねがは)クハ聖人速(すみや)カニ此ノ経ヲ書キ畢(をへ)奉テ我ガ願ヲ満(みて)ヨ」ト。老僧此ノ事ヲ聞テ、涙ヲ流ス事雨ノ如シ。即チ経ヲ取出(とりいだ)シ奉テ、心ヲひとつ一ニシテ書(かき)畢(をへ)奉(たてまつり)ツ。守また亦三千部ノ法花経ヲ書キ奉テ、彼ノ経ニ副(そ)ヘテ、一日法会(ほふゑ)ヲ儲(まうけ)テ、法ノ如ク供養シ奉テケリ。

 老僧ハ此ノ経ヲ書(かき)奉レル力ニ依(より)テ浄土ニ生(うま)レニケリ。二猿(ふたつの)法花経ヲ聞シニ依テ、願ヲ発(おこ)シテ猿ノ身ヲ棄テ、人界(にんがい)ニ生レテ国ノ司ト任ズ。夫妻(めおと)共ニ宿願ヲ遂(とげ)テ法花経ヲ書写シ奉レリ。其ノ後、道心ヲ発(おこ)シテ、弥(いよい)ヨ善根(ぜんごん)ヲ修(しゆ)ス。

 実(まこと)ニ此レ希有(けう)ノ事也。畜生也ト云ヘドモ、深キ心ヲ発(おこ)セルニ依テ、宿願ヲ遂(とぐ)ル事如此(かくのごと)シ。

 

 世ノ人此レヲ知(しり)テ深キ心ヲ可発(おこすべし)トナム語リ伝ヘタルトヤ。